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広島高等裁判所岡山支部 昭和56年(行コ)1号 判決

控訴人(原告) 坂手圭司

被控訴人(被告) 国

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、金三〇万八三二〇円及び内金八三二〇円に対する昭和五〇年六月一八日から、内金三〇万円に対する同年七月一七日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は「主文同旨」の判決並びに敗訴の場合は担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、次のとおり付加、訂正するほかは原判決事実摘示のとおりであり、証拠の提出、援用、認否の関係は、本件記録中の第一、二審調書記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決二枚目裏六行目「同日」から同八行目までを次のとおり改める。

「同月一二日、高畑正夫集配課主事(以下、高畑主事という。)を介して、所属長である津山郵便局長入江新太郎(以下、入江局長という。)に対し、同月一三日につき年休を請求したところ、高畑主事は、一三日は付与できないが、同月一六日であれば年休が与えられる旨述べたので、控訴人は一三日の請求を撤回したうえ、改めて同月一六日について年休の請求をし、右同日休暇をとつた。」

二  原判決二枚目裏九行目「当時」から同一〇行目「(以下、入江局長という)は」までを、「入江局長は」と改める。

三  原判決四枚目表四行目「知らないが、」を、「知らない。高畑主事が『同月一六日であれば年休が与えられる』と述べたとの事実は否認する(同主事は、控訴人が同月一二日に『一三日を休みたい』旨申し出たので、『一六日頃ならなんとかなるかもわからない』と述べたに止まる。)。」と改める。

四  原判決七枚目裏末行「しかし」から同八枚目表一〇行目までを、次のとおり改める。

「林課長は、同月一五日朝の時点で、前日一四日の残配達物数の状況と、更に要配達物数が増加する見通しを勘案したうえ、翌一六日の配置人員について三名の増員(即ち三四名による勤務態勢)を予定し、このため同日の計画年休者二名について時季変更をなした。ところが、同一五日午前一一時三〇分になつて太田豊が一六日について年休の請求をなし、その理由からみて年休の付与もやむを得ないものと判断されたため、これについては時季変更権を行使しないこととした。そして、控訴人に対しては、以上の事情から止むなく時季変更をすることとし、同日午後一時三〇分に、その旨通知したものである(従つて、被控訴人が、一五日朝の時点で必要と判断した三四名は、結局、確保できなくなつた。)。」

五  原判決一一枚目表一〇行目と同一二枚目表初行にそれぞれ「市外集配」とあるを、いずれも「市内集配」と改め、同一二枚目表九行目の次に、次項を付加する。

「また、被控訴人は、田淵が市内一、二区にのみ通区していたから、その補助要員に当てたと主張するが、もともと市内一区、二区とも一六日の要配物数は多くなく(一五日の滞留物数は、一区が二一九通、二区が一四五通であり、一六日の要配物数は、一区が一三九三通、二区が一三九七通であつた。)、控訴人の年休を時季変更してまで、右田淵を右の補助要員に当てる必要はなかつたものである。そしてまた、仮りに補助要員が必要であつたとしても、市内小包については、一二時三〇分から一六時の間、槙原と岡本が担務指定されており、しかも一六日の小包は、市内外を合わせて三一八通に過ぎないのであるから、第二案を採用し、市内小包については、槙原、岡本に全部を委せ、もしくは一〇時三〇分から一二時一五分及び一三時から一五時三〇分までの小包配達のうちの一部を割愛し、田淵をして市内一、二区の通常集配に当てることも十分可能であつた。しかも、市内一、二区については、以上のとおり補助をつけて完配にしたとしても、他の市内各区については、控訴人の時季変更の有無にかかわらず、当初から補助の予定はないのであるから、滞留を生ずることが必至であつたものであり、従つて、全体からみれば依然として完配となる状況にはなかつたのである。そうだとすれば、控訴人の主張した前記の代案は、『ある程度の滞留物の発生はやむを得ない』ことを前提にすれば、十分採用に価するものである。」

六  原判決一二枚目裏四行目「事例も少なくない。」の次に、次項を付加する。

「そして、年休制度は、本来、一定の業務阻害を当然の前提にして成り立つているのであるから、使用者は年休の請求がなされた場合には、年休労働者の労働力の提供を期待できないのであり、そのために、使用者は、予備定員の日頃からの確立とその投入、服務の差し繰り(労働力の再配置)、非常勤の雇傭(労働力の新規購入)、超勤による補充、管理職、下級職制の代替、他課からの補充等の方法で、事業の正常な運営に向けて最大限の努力をなすべきであり、このような努力をなさずして年休の取得を拒むことは許されない。更に、時季変更権を行使するには、当該労働者が所属する「事業場」を単位として、そこにおける事業が全体として阻害されたか否かにより判断すべきであり、事業場としての有機的一体性を失うような重度の支障があつて、その程度が、使用者に受忍を要求することが妥当を欠くと思料されるほどの場合でなければならない。従つて、通常、従業員が休暇をとれば必然的に生ずる程度の支障、日頃しばしば発生している程度の障害、短期間で容易に回復される程度ないしは日常の作業工程のなかで自然に解消されるような支障の発生は、正常な事業の運営を妨げる場合に該当しないものというべきである。また、一般には、現実に阻害の結果が発生しなくとも、その蓋然性があれば足りるとするようであるが、少なくとも、現実に阻害の結果が発生しなかつたときは、特段の事情(当時の状況では阻害が生じると判断することがやむを得なかつたと思われる諸事情)がない限り、時季変更権の行使は違法となるものというべきである。」

七  原判決一二枚目裏一一行目の次に、次項を付加する。

「1 人員配置の不備

当時、津山郵便局集配課においては、年休の完全消化に見合う人員配置はなされていなかつた。即ち、昭和五〇年度における年休日数は一二一八日と九四時間(即ち日数にして一二二二日)であるところ(前前年度、前年度繰越を含む。)、これに長期病欠者一名の補充のために必要な要員三一二名を加えると、年休を完全に付与するに必要な人員は延一五三四人となる。しかるに、休暇要員の配置状況は、非常勤三人雇傭の場合で延一四〇四人、同四名の場合で一七一六人であるから、仮りにすべてに計画年休制度を導入しても、年休を消化できる状況になかつたことは明らかである。まして、一日について複数の年休の請求があつた場合や、短期の病気休暇や特別休暇があつた場合、正常な業務の運営ができなくなる人員配置であつたといわざるを得ない(原判決は、当時、津山郵便局集配課において、年休の完全消化に見合う人員が配置されていたとし、その計算の基礎として、一人当り年間二〇日の年休を付与した場合に必要な人員が延七二〇人であるとしている。しかしながら、右のとおり、昭和五〇年度における年休日数は、約一二二二日であつたのであるから、原判決の基本的な考えの基礎が明らかに誤つているというべきである。)。

このことは、また別の観点からいえば、津山郵便局集配課の内、集配業務に携わる職員三六名が、当該年度に取得し得る年休を二〇日とすると、同課全体で七二〇日となるから、日曜日、祝日を除いた年間労働日を三〇〇日として計算すると、一労働日当り二・四人に年休を付与しなければ年休の完全消化はできないことになる。しかも職員が平均的に分散して年休を指定することは到底期待できないことをも勘案すると、本件において仁木、太田及び控訴人の三名が同日の年休を指定したとしても、これは前記の一労働日当りの平均年休取得者数にほぼ見合つていることからすれば、三名全員に付与して然るべきであり、これが付与できないのは、そもそも集配課において、適正な人員配置がなされていなかつたことを裏付けるものである。

従つて、このような状況下で『事業の正常な運営を妨げる』ものとして時季変更権の行使をするのは、権利の濫用であつて無効というべきである。」

八  原判決一二枚目裏一二行目冒頭「1」を「2」と改め、同一三枚目表一三行目「そして、本件の場合も、原告が五月一三日に、」とあるを「しかも本件にあつては、控訴人は、当初、昭和五〇年五月一二日に担当者である高畑主事に対し、同月一三日について年休を請求したところ、同主事は一六日であれば年休を付与する旨告げたのである。そこで控訴人は一三日についての年休請求を断念し、同日、」と改め、同一三枚目裏三行目「理解していたものである。」の次に「従つて、」を付加し、同五行目「著しく違背する。」の次に「仮りに右のような職場慣行が認められないとしても、右のような経過からみて一六日の年休について前日に時季変更をすることは、労使の信頼関係を著しく損なうもので、信義則に反し、権利濫用として無効である。」を付加する。

九  原判決一三枚目裏六行目冒頭「2」を「3」と改める。

一〇  原判決一四枚目表三行目の次に、次項を付加する。

「4 時季変更権行使の不当な遅延

仮りに、被控訴人において、その事業の正常な運営に支障を来たすものとして控訴人に対し時季変更をなす必要があつたとしても、被控訴人にとつては、前記に述べたような事情からすれば、控訴人が年休を請求した五月一三日の時点で、一六日に郵便物がある程度増加することは当然予測されていたのであるから、この時点で時季変更をすべきものであつたのであり、直前における時季変更権の行使は、不当に遅延した行使として許されないものである(このことは、最高裁判所 昭和五八年九月三〇日言渡、第二小法廷判決(昭和五五年(行ツ)第一四号)の趣旨からも、是認されるべきである。)。」

一一  原判決一四枚目表四行目の次に、次項を付加する。

「1 再抗弁1について

控訴人は、津山郵便局集配課においては、年休の完全消化に必要な人員の配置がなされていなかつた旨主張し、具体的には、年休付与に必要な人員は、原判決の指摘する年間延べ七二〇人ではなく、一五三四人であると主張する。

しかしながら、控訴人の主張は、昭和五〇年度の単年度について職員が保有していた年休(当該年度分のほか、前前年度、前年度からの繰越分を含めたもの)を、すべてその年度に完全取得するために必要な人員を算出しているものであるが、これは、職員が自らの都合によつて、一定日数の年休を次年度に繰り越す実情を無視するとともに、特定の事情をもつて一般的な要員事情を判断しようとするものであつて、経験則に反する不当なものである。その他、津山郵便局集配課において、適正な人員配置がなされていなかつたとみるべき事実はない。」

一二  原判決一四枚目表五行目冒頭の「1」を「2 再抗弁2について、」と改め、同一二行目冒頭の「2」を「3 再抗弁3について、」と改める。

一三  原判決一四枚目裏五行目「業務に支障を生じてでも」とあるを、「業務に支障が生じたとしても」と改める。

一四  原判決一四枚目裏九行目の次に、次項を付加する。

「4 再抗弁4について

元来、時季変更権の行使は「事業の正常な運営を妨げる事由」の発生が一定の蓋然性をもつて予測される段階に至つて初めてなされるべきものであるところ、被控訴人においては、一五日朝の段階においても、なお控訴人に年休を付与する方向で対処しようとしていたが、同日朝、現認した郵便物の数から、最終的に三四名の要員が必要であると判断したことに加え、同日午前一一時三〇分に至つて、急拠、太田から年休の請求がなされ、しかも被控訴人において太田から聴取した年休請求の理由について検討した結果、太田に対しては年休を付与するのが相当と思料されたので、これに対しては時季変更をしないこととし、このため控訴人の年休請求に対して時季変更をせざるを得ないこととなつたものである(その間の事情は、前記六、2において述べたとおりである。)。このような事情のもとにあつては、前日に至つて時季変更権を行使したことも、やむを得なかつたものとして是認さるべきである。」

理由

一  当裁判所も、控訴人の請求は失当であり、本件控訴は棄却すべきものと考える。その理由は、次のとおり付加、訂正する外、原判決の理由に記載するところと同一であるから、これを引用する。

1  原判決一六枚目表八行目の次に、次項を付加する。

「二 いずれも成立に争いのない甲第三ないし第五号証の各一、二、第六、第七号証の各二、第八号証の一、二、第一九、第二〇号証の各三、証人高畑正夫の証言によつて真正に成立したものと認める甲第一三号証、控訴人本人尋問の結果(原審)により真正に成立したものと認める甲第一四、一五号証、証人林忠雄(原審、当審。後記措信しない部分を除く。)、同高畑正夫、同仁木道雄(後記措信しない部分を除く。)、同太田豊の各証言及び控訴人本人尋問の結果(原審、当審)に前記争いのない事実を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  昭和五〇年五月七日から同月一〇日までは、全逓及び国労、動労の大規模なストライキが行われ、このため大量の郵便物が滞留している状況にあつた(その数は、一〇〇万通ともいわれていた。)。従つて、ストライキ明けには、滞留していた郵便物が各郵便局に殺到することが予想され、当局はその対策に苦慮していた。津山郵便局にあつても事情は同一であり、当時、局長以下その管理に当る者は、日々の受入数を予測しつつ、その対策を講じている状況にあつた。

(2)  当時、全逓岡山地区本部美作西支部津山集配分会長の地位にあつた控訴人は、同月一七日については、組合の分会長会議が予定されていたため、前以て年休の請求をしていたが、同月一三日も組合が予定している書記局詰めの当番にあたるとして年休をとることとし、一二日午後〇時五〇分頃、高畑に対し、『五月一三日は組合事務所に詰めるので年休をとりたい』旨伝えたところ、高畑は担務表を見たうえ、『一三日は休暇者が一杯で駄目だが、一六日なら余裕があるからとれるのではないか』と返答した。そこで控訴人は一三日に休暇をとることを諦め、『それでは一六日に頼む』と述べたうえ、改めて翌一三日の午後一時頃、一六日についての年休請求書を高畑のもとに提出した。その段階で、高畑は担務指定表の年休者欄に控訴人の氏名を鉛筆で記載した。

(3)  一方、同じく津山郵便局集配課所属の郵政事務官である仁木道雄は、同月一三日午前九時一〇分頃、子供が発熱したので病院につれていきたいことと、併せて親戚の者の病気見舞いのためとして、同月一六日についての年休請求書を提出した。林は、右のような理由であれば、休暇をとることもやむを得ないものと考えていた(しかし、この時点で、仁木に対し、時季変更をしない等の意思表示をしたものではない。)。

(4)  ところで、林課長は、ストライキ明けには集中的に郵便物が到達するとの予測をしていたが、実際に一一日から一四日までに津山郵便局に入つてきた郵便物は、もとより通常の量をかなりこえるものではあつたものの、予測された程大量のものではなかつた(その数は、原判決添付別表(二)のとおりである。当時の平均物数は、郵便物一万九〇〇〇通、小包三〇〇個である。)。

(5)  そこで、林は控訴人についても出来得る限り年休を付与する方向で対処したいとの考えのもとに、その後の郵便物数の推移を見守つていた。ところが、同月一五日朝になつて郵便物の数を把握したところによると、一五日の郵便物は異常に多くなつており、特に市外一〇区については平常の二倍にもなつていたので、林課長は、これらの郵便物を円滑に配達するには、配達員を三四名確保して処理に当らなければならないと判断するに至つた。そこで、一六日の計画年休に予定されていた二名については、同人らの了解を得たうえで、急拠時季変更をなし、予備の四名についても出勤を確保した。

(6)  他方、同集配課に勤務する太田豊は、一四日午後六時頃、丸山課長代理に対し、電話で同月一六日についての年休の請求をし、翌一五日午前一一時三〇分頃、田淵主事代理に対し年休請求書を提出した。これに対し、田淵は、右のとおり、管理者においては、配達員を三四名確保すべく苦心している最中であつたことから、即座に『わくがない』と言つて休暇を断つた。しかし太田は、どうしても休暇をもらわなければ困るとして、直接林課長に会い(林が、太田の年休請求を知つたのは、この時点であると思われる。)、『近所の人が亡くなつて一六日に葬式がある。』と述べてなおも休暇を要求したので、林課長においても、近隣の葬儀に出ることは、社会一般の習慣からやむを得ないものと判断し、その場で(同日午前一一時四五分頃)太田に対し、休暇を付与する(時季変更をしない)との意思表示をした。そしてまた、林課長は、一五日、仁木に対しても、一六日の年休が出ているがどうしてもいるのか、出来れば理由を聞かしてくれ、と尋ねたところ、仁木は、子供が前日少し発熱したことと、親戚の病気見舞のため病院に行きたい、と答えたため、林課長も、そうかわかつたといつて、右休暇を了承した。なお、右子供の発熱の点は、一五日朝仁木の出勤前にも少しあつた。

(7)  以上のとおりの経過で、林課長が、当初三四名は必要であると判断した配達員は結局確保できず、控訴人を加えても三三名になつてしまうこととなつたため、林は控訴人に対して一六、一七日の二日にわたつて休暇を付与することはできないと判断した。そこで同日午後一時三〇分頃、林は控訴人を呼んで、『非常に郵便物が増えているし、これからも沢山到着しそうだから、一七日の休暇は付与するが、一六日については出勤してくれないか』と言つたところ、控訴人は『用事があるから休む』と述べて、林課長の申し入れを受け入れようとはしなかつた。そこで、林は、控訴人が休暇を要する理由が真にやむを得ないものであれば、たとえ業務を犠牲にしてでも休暇を付与するが、そうでなければ時季変更をするとの考えのもとに年休請求の理由を質したところ、控訴人は『組合のため必要だ』と答えたのみで、それ以上の理由は述べなかつたので、林は、当日の主事代理である田淵を立ち合わせたうえ、一六日については時季変更権を行使する旨をその場で伝えた。しかし、控訴人は一六日については勤務につかなかつた。

証人林忠雄、同仁木道雄の各証言中、右認定に反する部分は、前掲証拠に照らし措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。」

2  原判決一六枚目裏一〇行目「繁簡」とあるを、「繁閑」と改める。

3  原判決一七枚目裏八行目の「証人林忠雄」の次に「(原審)」を付加する。

4  原判決二三枚目表八行目の次に、次項を付加する。

「なお、控訴人は、津山郵便局集配課における年休付与に必要な人員は、年間七二〇人ではなく一五三四人であるから、同課においては年休の完全消化に必要な人員配置がなされていなかつた旨主張する。

しかし、控訴人が主張する一五三四人という数字は、昭和五〇年度において、職員全員が保有している年休(当該年度分のほか、前前年度、前年度繰越分をも含めたもの)を、当該年度に全部取得するために必要とされる人員であるが、このように、全職員が、当該年度に繰越分も含めてすべての年休を取得するということは実際上は通常あり得ないことであり、そのように通常あり得ないことをも予測して、これを前提にした必要な人員配置をしなければならないということは、到底できないことでもあり、またそこまでの必要もないといわざるを得ないところである。

そうだとすると、控訴人の右主張は失当であり、その他右結論に消長を来す事情は存しない。」

5  原判決二六枚目表四行目「原告本人尋問の結果」の次に、「(原審、当審)」を付加する。

6  原判決三〇枚目表七行目の次に、次項を付加する。

「この点に関して、控訴人は、そもそも年休制度は、本来一定の業務阻害を当然の前提に成り立つているものであるから、使用者はこれを付与するために最大限の努力をすべきものであり、このような努力なくして年休の取得を拒むことはできず、従つて、時季変更権を行使するには、個々の業務阻害の域を超えて事業場全体に重大な支障を生ずるような場合に限られる旨主張する。

年休制度が、一面で当然ある程度の業務阻害を伴うものと観念し得るものであり、にもかかわらず、年休制度の趣旨からして、これを付与するために使用者が最大の努力をすべきものであることは、控訴人主張のとおりである。

しかし、そうした努力にもかかわらず、なお事業運営の必要上休暇を付与し難いときは、使用者としては、事業の正常な運営を図るべき使用者としての責任上、時季変更権を行使し得るものであり、このようにして年休の付与と、業務の正常な運営との均衡をとり得るものと解されるところである。

そして、本件がかかる場合に該当することは既に説明したとおりであり、また、事業阻害の点も、津山郵便局における郵便物の集配業務は、その中心的業務であつて、同局の事業の正常な運営を阻害するものと十分みられるところであるから、控訴人の右主張を考慮にいれても、なお前記認定説示したところは左右されないものというべきである。」

7  原判決三〇枚目表八行目の次に、次項を付加する。

「一 人員配置の不備

津山郵便局集配課の人員配置及び人員配置と年休取得との関係については、二1、4において認定したとおりである。

そうすると、同集配課においては、年休の完全消化に見合う人員配置がなされていたというべきである。

控訴人は、同集配課において、昭和五〇年度に、年休を完全に付与するに必要な人員は延一五三四人であつたのに、休暇要員の配置状況は一四〇四人ないし一七一六人であるから、年休を消化できる状況になかつた(少なくとも複数の年休請求や、短期の病気休暇、特別休暇に対応できない。)旨主張する。

しかしながら、控訴人が、前記の年休を完全に消化するに必要な人員が延一五三四人であるとする根拠は、昭和五〇年度の単年度において、職員が当該年度分のほか、前前年度、前年度からの繰越分も含めて保有していた年休をすべてその年度に完全取得するために必要な人員の数であつて、結局は、同年度において請求し得る年休の最高限度を基準にしていることとなるところ、そのような状態が生ずることは経験則上想定し難く、また、実際にも過去においてそのようなことはなかつたものであつて(ちなみに、前認定のとおり、同集配課における中途採用者等を除く昭和五九年度((三二名))の年休の年間付与日数は六四一日、昭和五〇年度におけるそれ((三四名))は七四八日である。)、従つて、およそ想定し難い状態を念頭におき、それに対処できないからといつて、人員配置が十分でないとすることはできないところである。控訴人の右主張は、その余の点を判断するまでもなく失当である。」

8  原判決三〇枚目表九行目冒頭の「一」を「二」と改め、同一〇行目「林忠雄」及び同一一行目「原告本人尋問の結果」の次にそれぞれ「(原審、当審)」を付加し、同一二行目「二によれば」を「二並びに前記認定の事実を総合すれば」と改める。

9  原判決三一枚目表一行目の次に、次項を付加する。

「そして、前記認定のとおり、控訴人が当初、五月一二日に、同月一三日について年休の請求をしたところ、高畑主事において、一三日は駄目だが、一六日であればよいのではないかとの返答をなし、その示唆に従つて一六日についての年休の申請に替えたという経緯に併せて、休暇の申請をした時に、高畑において担務表に控訴人の氏名を鉛筆で記載した事実を併せ考えると、控訴人が、一六日については休暇がとれる(時季変更権を行使されない)との強い期待を持つたとしても無理からぬ状況にあつたということが言える。」

10  原判決三一枚目表九行目「採用できない。」を「採用できないし、また、高畑において、一六日ならばとれるのではないかと示唆した点についても、これは、当時の状況下における高畑としての判断を述べたもので、その後の状況の変化によつてその判断が維持できなくなつたとしても、それはやむをえないことというほかないものである。よつて、この点における控訴人の主張も採用できない。」と改める。

11  原判決三一枚目表一〇行目冒頭の「二」を「三」に改め、同一一、一二行目「原告本人尋問の結果」の次に「(原審、当審)」を付加し、同一二行目「によれば、」を「並びに前記認定の事実を総合すると、」と改め、同三二枚目表一〇行目「認められないし」の次に「(もつとも、仁木が休暇をとる理由の一つとして述べた子供の発熱は、一三日の時点で、一六日に病院につれて行くというものであるから、その病状は、特段緊急を要するものではなかつたともいえようが、しかし、発熱の反復継続も考えられ、現に一五日朝も発熱があつたのであるから、子供を病院につれていくことの必要性が乏しい状況にあつたともみられず、親戚の者の病気見舞いとあいまつて、その必要性を肯認した林の判断は、特に合理性を欠くものとすることはできない。)」を付加する。

12  原判決三二枚目裏三行目の次に、次項を付加する。

「四 時季変更権行使の不当な遅延

被控訴人が、控訴人に対し、五月一五日の午後一時三〇分頃に至つて、翌一六日についての年休について時季変更の意思表示をしたことは、前記認定のとおりである。しかし、同時に前記認定の事実に照らすと、林課長は、控訴人に対しても出来るだけ休暇を付与するとの立場で郵便物数の推移、職員の動向を見守つていたところ、一四日の段階では、郵便物数は普段よりはかなり多いものの、まだ飛躍的に増大しているという状況にはなかつたので、他の方策等をも考え、最終的判断をする状態ではなかつたこと、しかし一五日の朝、郵便物数を確認したところその数は増大しており、特に市外一〇区は平常の二倍にもなつていたので、これらの状況からみて、一六日には三四名の配達員を確保しなければ、業務の円滑な運営ができないと考えられたこと、しかもその頃(同日午前一一時三〇分頃)になつて太田から年休の請求が出され、当初は休暇を思い止まるよう説得したものの、本人の希望も強く、結局はその理由に鑑み休暇を付与するのが社会的に相当と認められたので、休暇を承認するに至つたもので、これらの諸事情から控訴人の年休について時季変更をする必要が生じたものであることが明らかである。以上の事実からすれば、一五日の午後一時三〇分に至つて時季変更をしたこともやむを得ないものというべく、従つてこれをもつて時季変更権の行使が不当に遅延したものということはできない。」

13  原判決三二枚目裏四行目冒頭の「三」を「五」に改める。

二  そうすると、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であつて、控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺伸平 北村恬夫 浅田登美子)

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